終わらない。
決して仕事をサボっていた訳ではない。ただ、急なトラブルで予定が崩れた。
この件はリチャードには散々謝られたし、気にもしていないが……終わりの見えない作業には、
知らずとストレスが溜まるようで。ちょっとした事で苛々と気持ちがザワつくのを感じていた。
疲労と眠気のピークなんてとうの昔に通りすぎた。執務室に籠って何時間経っただろう。
流石に限界で手にしていたペンを机上に放り投げ、転がるペンの後を追うように机へと突っ伏した。
それと時を同じくして、静かだった室内に控え目なノックの音が響いた。
「……」
返事をするのも億劫で無視をしていたら、ノックと同じ様に控え目に扉が開閉する音とコツリと硬い靴の音。
顔を上げなくても誰が来たか分かった。
「……ヒューバート、疲れた」
「全く、貴方と言う人は……」
予想通りの声が耳を擽って、勝手に頬が緩む。
ヒューバートの気配と足音が近づくにつれて、甘い香りが漂ってくる。
何だろうと顔を上げて鳴った小さな音。発生源は俺のお腹。
「一日中何も口にしないだなんて無理は、感心しませんね」
刺々しい口調で告げるヒューバートの手には、軽食の乗った盆。
甘い香りの正体は、それと一緒に運ばれた紅茶からの様だ。
「仕方ないだろ、今夜中に纏めないとならないんだから」
「それは分かっていますが、何か口にする間も無いわけではないでしょう?」
きっぱりと言い返す言葉と同時に、目の前にサンドイッチが置かれる。
少し不格好に見えるのは如何してだ。
「ヒューバート、これ……」
「なっ、何か文句でも? 慌てて作ったのだから仕方ないじゃないですか」
あぁ、やっぱり……。
どうやらこれはヒューバートの手作りみたいだ。ふと視線をずらして近くの置時計を見れば、時間は深夜。
この時間ならば、コックも寝てしまって居るだろう。
わざわざ気遣ってくれた事や、こうして不慣れながらも食事を用意してくれた事に感激した。
(ヒューバート本人に告げたら、貴方は主人なのだから当たり前です。とか言われそうだが)
暫く食べずに眺めていたい。
だって、ヒューバートが俺のために作ってくれただなんて嬉し過ぎる。
「食べないなら片付けますよ……っ!」
ジッとサンドイッチを見つめていたら、馬鹿にされているとでも思ったのだろうか。
ヒューバートが怒りだした。
「食べるよ。たださ、ヒューバートが作ってくれたんだって思ったら……勿体無くて」
「なっ……」
「目に焼き付けて置こうかな……って思ったんだよ」
ヒューバートの顔がみるみる赤くなっていく。
照れからだろうと、容易に想像できるそんな変化すら可愛くて愛しい。
「……馬鹿な事ばかり言っていないで、早く食べて仕事に戻られては如何ですか」
こうして精一杯、平常心を保とうと努めるヒューバートはやっぱり可愛い。
詰まるところ、ヒューバートはどんな時も可愛い。俺は漸くサンドイッチを手にして一口食べた。
この味を忘れないようにと、良く味わうように咀嚼して飲み込む。
隣からヒューバートのそわそわした空気が伝わってきて笑いそうになる。
何だかんだ、感想とか気になっているんだろうな。
「……どうですか?」
我慢の限界に達したヒューバートの方から感想を求めてきた。
そんなに心配しなくても良いのに、ヒューバートの手作りが不味い訳ないのだから。
「美味しいよ」
傍らに立つヒューバートへ視線を向けながら告げた。
そのまま残りのサンドイッチも食べきった。どれも形こそ不恰好ではあったけど、とにかく美味しかった。
散々鳴いていた腹の虫も大人しくなって申し分無い。仕事はまだ残っているけど頑張れそうだ。
最後に紅茶を飲もうとカップに手を伸ばして、ある事に気付いた。何だかいつもと違う。
「リラックス効果のあるハーブをブレンドしてみたんですよ。捗らずに苛々している頃だろうと思ったので」
カップを片手に中の紅茶を見詰めていたら、横で皿を片付けていたヒューバートが疑問の答えをくれた。
こんな所まで気遣ってくれて、俺は何て優秀で優しい弟を持ったのだろう。
「……ヒューバート」
片付けを再開したヒューバートを呼んだら、直ぐに作業を中断してくれる。
そんな忠実さに小さく笑って、その腕を軽く引いた。
「どうしました? ……っうわ!」
急なことで体勢を崩したヒューバートを確りと抱き留めて、そのまま頬にキスをした。
|