兄さんが帰宅するなり、テーブルに広げられるチョコレートの山。
手作りのものから、有名な店の高級なものまで。どれも綺麗な包装紙にしっかり包まれているはずなのに、
ふわりと甘い香りが辺りに広がる様な気がするのは、中身がチョコレートだと解っているからだろうか。
兄さんはそれらを一つ一つ丁寧に並べて、みっとも無く表情を緩めている。

毎年の事ながら、どうしても不快感を覚える。
確かに、甘いものが好きな兄さんにしたら、チョコレートを大量に貰えるのは嬉しいのだろう。
兄さん本人に他意が無いことも十分理解している。
それでも、義理に紛れた明らかな本命チョコにどうして気付かないのだろう。
モテる癖に鈍感だなんて……反則だろう、色々と。
ぼくには名前も顔も解らないが、兄さんへの想いを込めたであろうチョコレートの差出人に同情すら覚えた。


「先ずは手作りのやつだよな。日持ちしないし……」


ぼくがあれこれと考えている間に、どれから食べるか……という問題に結論が出たらしい。
兄さんはチョコレートの群れの中から、いかにも手作りの凝ったラッピングの箱を一つ手に取った。
そして、丁寧に封を開けて……。


「何だよ、ヒューバートさっきから……あ、お前も食べたいのか?」

「ち、違いますよっ」


余りにも熱心に観察しすぎたらしい。
ぼくからの視線に気付いた兄さんの訝しげな表情が目の前にあった。慌てて変に声が上擦る。
それにしても、見当違いな方向に勘違いをしてくれて助かった。
とにかくチョコレートへの興味はないと主張するべく、手にしていた文庫本へと視線を移してその場をやり過ごす。
暫く兄さんが此方を見ているような気配があったが、直ぐに興味はチョコレートへと戻ってくれた。
刺さるような視線を感じなくなって、ぼくは文庫本を読んだふりをしながら、ちらりと再度兄さんを盗み見る。

兄さんの手にある箱は、外見だけでなく中も可愛らしく飾られていた。
本当に何となくだが、本命チョコなのでは無いか……。そう思わせる程、手の込んだものだった。

どんな人がそのチョコレートを手渡したのだろう。
そして兄さんは、どんな顔をして受け取ったのだろう。

次々と浮かぶ疑問と、その場を想像する度に胸に走る痛みも……毎年恒例の反応だ。
嫉妬だなんて本当にみっともない。そうは思っていても、不安になる。
ぼくは弟だし、可愛げも無い。
可愛い女性が兄さんに告白して、その人が兄さんの好みだったりしたら、ぼくなんか簡単に負けてしまう気がして……。

考えれば考えるほどに気持ちが沈んでいく気がする。
兄さんから逃げるように、文庫本の文面へと視線を落とした。
読むというより眺めるだけ。本の内容なんて頭に全く入ってこない。


「あ、これ美味しい」


ぼくの気もしらいないで――。
兄さんは本当に嬉しそうに、美味しそうにチョコレートを食べる。
これ以上食べるなと言えたら、どんなに良かっただろう。
とうとう我慢できなくなって、本を少し乱暴に閉じて、兄さんの様子を覗う。
当然のように何の反応も無かった。
期待したぼくが悪いのか、鈍い兄さんが悪いのか。
とにかく一刻も早くこの場を離れたくて、ぼくはソファから立って自室へ足を向けた。



「……っ、ん?!」


廊下へ出掛かったところで、背後から兄さんのくぐもった声が聞こえてきた。
何かあったのかと振り返れば、口元に手を当てている兄さんの姿が見えた。
心なしか身体も前かがみになっている。
まさか、チョコレートを喉に詰まらせたりでもしたのかと、慌てて駆け寄った。


「兄さんっ、大丈夫ですか?!」

「ひゅーばーと……。このチョコ、すご……苦い」

「は?」


口元を手で覆ったまま瞳にうっすら涙を浮かべて、「これ……」と差し出されたビターチョコよりも暗い色をしたチョコレート。
確かに苦そうではある。
しかし、幾らなんでも大げさだろうと、兄さんへと視線を向ける。


「……食べてみろって、そうしたら解るから」


そこまで言われたら、興味が湧いてくる。
ぼくは兄さんの指に顔を寄せると、そのままチョコレートを少しだけかじった。


「……っぅ」


苦さは直ぐに解った。
ビターやブラックでも余り感じないカカオ本来の味が、味覚に直接訴えかけてくるような感じだ。
しかし決して不味いわけではなくて、ぼくは好きな味だった。
ただ甘ったるいだけのチョコレートよりは全然美味しい。
でも、兄さんには無理だろう。それもチョコレートは甘いとの認識で口にしたのなら、あの反応は無理もない。

視線を上げると感想を期待するような兄さんの瞳。
やたらと輝いて見えるのは先程の涙のせいか、ぼくの幻覚か。


「確かに苦いですが、美味しいですよ」

「えぇっ、俺は無理だ。だって、チョコは甘いものだろ……」


自分と違うぼくの感想に驚いて、狼狽えて……困ったように眉が下がると共に視線も下りた。
ぼくもその後を追うように視線を下げて、兄さんの困惑の意味に気付いた。
箱にはまだ数個、同じ様なチョコレートが並んでいた。


「ヒューバート、代わりに食べてくれよ」

「嫌ですよ、兄さんが頂いたものでしょう? 責任をもって貴方が食べるのが礼儀です」


きっぱり告げてやれば、益々困ったと表情に貼り付けて情けない声でチョコレートと睨み合う。
冷たくしたのは苛々していたから、八つ当たりだった。

兄さんは優しいから残すとか、そういうことは最初から頭に無い。だからこそ、こんなに悩んでいるのだろう。
困った顔を浮かべた兄さんを見て、少しだけ浮上した気持ちが再び沈んでいく。
自分勝手だと思わない訳でも無いが、兄さんも悪いそう決め込むことにした。

結局件のチョコレートは、一気に食べてしまう事にしたらしい。
兄さんは数個あるチョコレートを手にすると、次々に口の中へと放りこんでいく。
一気に食べる方がつらいのではないか、と心配になった。案の定、兄さんの表情がみるみる強張っていく。
本当にしょうがない人だ。

ぼくは、口内のチョコレートと戦っている兄さんを尻目に、キッチンに向かう。
毎年用意しただけで結局渡しそびれて、自分で食べていたチョコレートが、今年に限っては日の目を見れそうだ。
箱から一つ、ミルクの甘いチョコレートを手に取ると、兄さんの元へと戻った。


「兄さん」


今度こそ完全に涙目になった兄さんを呼ぶ。
のろのろとした動作で此方へ視線が向けられる間に、先に手にしたチョコレートを自分の口に含んだ。
そのまま兄さんの唇に自分のそれを重ねる。

普段されるばかりのキスは、自分からだと顔から火が出るのでは無いかと思うくらいに恥ずかしかった。
慣れないことはするものではない。


「……ンっ」


さっさと口の中のチョコレートを兄さんに渡して、顔を離す。
突然の事過ぎて呆けている兄さんと、視線がぶつかった。気まずい……。


「く、口直しですよ。それで少しはマシになるでしょう」

「いや、そうじゃなくて。このチョコ、もしかして……」

「勘違いしないで下さい! キッチンにあったもので、決して、ぼくからのとかでは……」


言い終えてから、しまったと思った。これでは、認めたも同然だ。
一気に頬に熱が集まるのを感じて、顔を逸らす。
先ほど自分からしたキスの羞恥も相まって、言い訳の言葉も出てこなくなる。


「ふーん、ヒューバートって甘いものそんなに好きだったか?」


追い討ちをかけるように兄さんの言葉が届いて、焦りを助長する。
その弾んだ声音だけで、顔を見ずとも兄さんがどんな表情をしているか。
更には、否定をする意味が無くなった事も手に取るように分かってしまった。


「知りません! もう、ぼくは部屋に行きますから」


これ以上からかわれて醜態を晒すのはごめんだ。とにかく部屋まで逃げてしまえば良いと、立ち上がる。
……が、腕を引かれてそれは叶わなかった。
体重移動に失敗したぼくの身体は、バランスを崩して兄さんの座るソファに尻餅をついた。


「……ぅわっ、兄さん、危ないじゃないですか……っぅ!」


原因である兄さんを振り返ろうと顔を向けた瞬間、兄さんの方からぼくの頬に手を添えて思い切り引き寄せてきた。
大分勢いがあったせいで、お互いの歯がカツっとぶつかって地味に痛い。


「……っ、ん! んぅ……!」


兄さんの舌が口内に滑り込んできて、翻弄される。
抵抗しようにも、まるで力が吸い取られるように抜けていって、それも叶わない。
少し前まで食べていたチョコレートのせいか甘ったるい舌を絡められ、息も上がった頃、漸く解放された。

ぐったりと兄さんにもたれ掛かって、乱れた呼吸を必死に整える。
ぼくばかり余裕が無くなって、兄さんは涼しい顔をしているのは何でなんだ。
悔しくて兄さんを睨めば、そっと耳元に顔が寄せられた。


「残りのチョコは? あれだけじゃ無いだろ?」




  ***


チョコを取って来いと見送られて、キッチンに向かったは良いが、どうしてこんな事になってしまったんだ。
中途半端に開封してしまった箱をなるべく買った時の状態に戻そうとしながら、自然と溜め息が零れた。

このチョコレートの事もだが、今日はもう二回も兄さんとキスをしてしまった。

名残を求めて無意識に唇へと手を伸ばす。
それだけで兄さんの唇の感触だとか、吐息だとかを思い出して息が詰まった。
何を考えているんだと、冷静に突っ込みながらも嬉しかったのも事実で。また溜め息が零れた。



リビングへ戻ると、兄さんが満面の笑みで両手を伸ばしていた。
一見すると餌を待つ雛鳥のようで、何とも言えない気持ちになる。
眼鏡の位置を正して兄さんを見下ろせば、早くと言わんばかりに手が揺れる。
勿体振っても仕方が無い。
手にしていたチョコレートの箱をそっと手渡した。


「有難う。……うわぁ、ヒューバートからのチョコ。夢じゃないよな」

「つねって差し上げましょうか?」


幸せの絶頂らしい兄さんには、嫌味も通じなくなるらしい。
箱をしげしげと眺めては嬉しそうに破顔している。
市販のチョコレート一つで、これほど喜べるのも兄さんくらいでは無いだろうか。
照れくささは残るが、渡せて良かったと思った。



「では、ぼくは部屋に……なんですか?」

ぼくが言葉を言い切るより先に、チョコレートを持っていない方の手で自分の膝を叩く兄さん。
言わんとしている事は分かる。しかし、目的が分からない。


「ヒューバート」


優しく、囁くみたいに名前を呼ばれて、肩から力が抜ける。兄さんには勝てそうにも無い。
「失礼します」と一言告げてから兄さんの膝に座った。
直ぐに腰に手が回されて、そのまま抱きしめられた。


「そう言えば、さっきまで機嫌が悪かったの、まさかチョコくれた子達に嫉妬か?」

「……違います。自惚れないで下さい」

「そっか、そっか。ヒューバートは本当に可愛いな」


違うと否定しているのに、兄さんの中では勝手にぼくが嫉妬していたとされているらしい。
間違いではないが、腑に落ちない。
ぎゅうぎゅうと強く抱きしめられて苦しいし、恥ずかしいし。
本当に今日は、変な気まぐれを起こしたせいで踏んだり蹴ったりだ。


「っ、だから違うと言って……」

「なぁ……、来年もくれるって約束してくれたら、もう誰からも貰わない」


ふっ、と抱きしめる腕の力が緩んだと思ったら。急に真剣な声を出して、本当に兄さんはずるい。
どうして、鈍いくせにぼくの気持ちを全部全部理解して欲しい言葉をくれるんだ。



「……考えておきます」


兄さんはこうして、ぼくが素直になるタイミングを全部奪うから、ぼくは相変わらず可愛くない弟になってしまうんだろう。

そんな事を思いながら、そっと兄さんに身体を預けた。












>ちょっぴり遅刻ですが、VDのお話。
弟くんの方が兄さん大好きな話が書きたくて。

11.02.14
(title by hmr)