かさり……、本の頁を捲る音が部屋に響く。眠気を誘うこの音に身を委ねてしまいそうになりながら、
アスベルは宿の部屋に着くなり読書を始めてしまった弟のヒューバートの姿を眺める。
アスベルの位置からでは背中しか見えないため、表情を窺うことは叶わないが、真剣な顔をしているのだろう。
声を掛けたくてもかけられずに、早数十分。
折角二人っきりになれたというのに……正直寂しい。


「ヒューバート。」

「……何ですか?」


視線すら向けずに、それも間さえ空けて返事を返され、アスベルは分かりやすく表情を歪めた。
ヒューバートがこちらを向くまで言葉を発するつもりは無いと、弟の背中をじっと見詰める。
暫くそうしていると、ヒューバートの方から折れた。椅子を少しだけ引いて、アスベルを振り返る。


「一体何ですか?」


アスベルが漸く見た弟の顔は、呆れ顔一色だ。
読書の邪魔をしてとでも言いたげなヒューバートの視線を、アスベルは真っ直ぐに見据える。
そして、殆ど思いつきと言っても良い様な発言をした。


「嘘吐いて遊ばないか?」

「……は?」

「だから、嘘を吐いて遊ぶんだよ」


これなら素直でないヒューバートからでも想いを聞けるし、読書に集中しどおしのヒューバートに
己の方を意識して貰える。我ながら良い提案をした。
アスベルが己自身を褒めている間に、呆れを怪訝に変えたヒューバートは一つため息を吐いた。


「嘘を吐いて遊ぶだなんて、聞いたことがないです。」

「いいから。何か言ってみろよ」

「何かって……」


戸惑うヒューバートを無視して、アスベルはどんどん話を進める。
期待に輝く瞳を向けられては断るに断れない。


「今日は天気が悪いですね」


大体嘘を吐けだなんて、何を目的としての提案なのか。
兄の意図が読み取れず、困り果てたヒューバートは当たり障りの無い話題を挙げた。
視界に入った窓の外の天気が随分と良かったから、それの反対を。
しかし、それは兄の気に入るものでは無かったらしい。みるみる瞳から期待が消えていくのが分かった。


「ヒューバート……他には?」

「他って……いい加減にしてください。いきなり嘘だなんて言われても、思いつきませんよ」


ヒューバートが無視せずに相手をしてくれるのは嬉しい。
しかしこの調子では、自分の求めている返答を期待することは出来そうにない。

アスベルは少し考えるように視線を泳がす。
そして、求めているものが得られないなら、此方から尋ねればいい。と、単純極まりない答えに辿り着いた。


「じゃあ、ヒューバートは俺の事どう思ってるんだ?」

「……す、好きですよ」

「それって……」


好きが嘘だと言うのなら、つまりは嫌いという事になるのか。
アスベルは好きと声に出して言われたことに喜びながら、ふとその意味に気付いて表情に影を落とす。
嘘でも好きと言われたら嬉しいかも、という自分の考えは甘かったらしい。
その言葉の影に反対の意味があるのだから当然だ。
一瞬でも喜んだせいで、反動が大きい。

しょんぼりと肩を落とすアスベルの反応に、予想はしていたもののヒューバートの胸が少しばかり痛んだ。
急に嘘だのと言い出した理由にも、いい加減見当がついて来ていて。
こんな遠まわしな方法を選んだ兄が悪いと思うのに。……思うのに、フォローを入れずにはいられなかった。
勿論、勘違いされたままでは困るというのもあるのだが。


「……たとえ嘘だとしても、兄さんの事を嫌いだなんて言えません。ですから、今のは嘘ではないです」


アスベルははっとして顔を上げた。
上げた瞬間にヒューバートとばっちり目があって、でも直ぐに逸らされてしまった。
アスベルは黙ってヒューバートの傍へと歩み寄ると、ぎゅうっと強く抱きしめる。
愛しくて愛しくて……堪らない。

そろそろと背中に回されるヒューバートの腕に、自然と腕の力が増した。





「兄さんこそ、どう思っているんですか? ぼくのこと」


胸に顔を埋めたままの弟のくぐもった声に、少しだけ体を離す。
照れているのか体を離されたことが不満なのか、視線を逸らしているヒューバートの頬は少しだけ赤い。
再三伝えている事だが、こうして改めて聞かれると気恥ずかしいものだ。
照れ隠しに熱を持ったヒューバートの頬を撫でながら、なるべく違和感を与えないようにと努めて返事をした。


「ん? 大好きだよ。」

「へぇ……そうですか、大嫌いですか」


アスベルの返答を聞くやいなや、今度はヒューバートの方からアスベルとの距離を開けた。
何がなんだか分からないと、離れた弟の温もりを求め抱きしめようと伸ばされたアスベルの腕は、
次いだヒューバートの一言に固まる事になった。

自分が言い出した遊びは、ヒューバートの中ではまだ続いていたらしい。
慌てて言い直そうとするが、言葉が続かなかった。


「――なっ、違うよ。えっと……大き、ら……うう、言えない」


先ほどの自分と同じジレンマに苛まれているであろうアスベルの姿を、ヒューバートは冷たく一瞥する。
読書の邪魔をされた挙句、とんでもない無理を言われたのだ。これくらいの意地悪をしても罰は当たらないだろう。



「……全く。二度と変なこと言い出さないで下さい。それに、構って欲しいなら素直にそう言えば良いんですよ」

しゅんと元気の無くなったままのアスベルへひとつ釘をさしてから、ヒューバートは腕を伸ばして抱きつく。
素直じゃないのはお互い様だから、今回ばかりは自分から素直になろうと思った。







11.01.23
(title by seenze)