「兄さん、お風呂空きましたよ……」

「弟くーん!!」


自分と兄に宛がわれた客室の扉を開くと同時に受けた衝撃、次いで軟らかい感触。
ふわりと鼻腔を擽る何とも言えない香り……。
思わず鼻を塞ぎそうになって、仮にも相手が女性である事を思い出してギリギリの所で抑える事に成功した。
そんな人の気も知らないで、飛び付いて来た張本人は胸に顔を押し付けている。
何をしているんだ、この人は……。


「どうして貴女が居るんですか、離れてください!」

「……ふんふん、弟くん良い匂いだね〜」


勝手に埋めていた顔を上げて何を言い出すかと思えば……、さっきまで入浴していたのだから当たり前だ。
これで臭いなどと言われたら引き返して入り直す所だ。
其れよりも強く引っ付かれる度に当たる……む、胸を如何にかして欲しい。それと臭いも。
この人、今度はいつから風呂に入っていないんだ……。
無言でぐいぐいとパスカルさんの肩を押し返すが、離れようとしない。
焦りも、臭いへの耐性も限界を超えようとした頃、今までの一連のやり取りを黙って見ていた兄さんが、動いたのが視界の端を掠めた。


「……パスカル」

「……? あぁ、ごめんごめん」


兄さんの一声に、先程まで糊付けでもされていたのではないかと疑う程に離れたがらなかったパスカルさんが、あっさり離れた。何故か兄さんへの謝罪とセットで。それは何に対しての謝罪なんだ、第一謝罪を言うのなら相手が違う。
言いたい事は山のようにあったけれど、どうせこの人には何を言っても効果は無い。
自分自身に疲れを蓄積させるだけだ。
今までの悲しい戦歴を無意識に振り返ったぼくの口から吐き出されたのは、濃度の濃い溜息だけだった。

結局何がしたかったのか解らないまま、兄さんを不機嫌にしただけでパスカルさんは帰っていった。
そもそもどうしてぼく達の部屋に居たんだ。当人に理由を聞き損ねてしまった為、仕方無く不機嫌オーラを撒き散らす兄さんに尋ねようとして……思いきり抱き締められた。
今日はやたらとハグされる。慣れない行為なだけに身体が強張ってしまうのを抑えられない。


「……油断しすぎだ、ヒューバート」

「あれは不可抗力です」


だけど、今の相手が兄さんだからだろうか。徐々に落ち着いて安心感まで得てしまうのだから、何だか腑に落ちない。
悔しいから兄さんの肩を押して細やかな抵抗をしてみたが、余計に強く抱き締められてしまい早々に諦めた。


「あ、本当に良い匂いがする」

「……兄さんまでふざけないで下さい」


声音から察するに、どうやら機嫌は直ったらしい。
それは大いに結構だが、くんくんと無遠慮に匂いを嗅がれて居心地が悪いったらない。


「第一、 身体を洗って来たのだから、当たり前です」

「いや、これは石鹸とかではなくて……おまえの匂い、かな。優しい匂いがする」

「……」


そんな勝ち誇った顔で言われても「そうですか」としか返しようが無くて。
結局言葉を失って俯く。我が兄ながら、本当に恥ずかしい人だと思う。
それに、全然解ってない。ぼくなんかより、兄さんの匂いの方がよっぽど優しくて安心する。
……此処まで考えて急に我に返った。
今しがたのとんでもなく恥ずかしい思考に、頭を抱えたくなる。


「……っ」

「ヒューバート? どうした?」

「なっ、なんでもありませんよ。それよりいい加減離して下さい」

「話してくれたら、離れてやるよ」


交換条件とばかりに告げながら腕の力を強められる。苦しいと抗議しても緩めて貰えない抱擁に、流石に諦めた。
ぼくが兄さんに逆らえる筈も無い。兄さんにはバレないように小さく息を吐いた。観念するしか無い。
幼い頃から身に付いてしまった性分に、今更抗うつもりは無いのだから。


「……兄さんも、良い匂いがする、そう考えていたんですよ」

「えっ、俺?」

「何度も言わせないで下さい」


言葉にしてしまってから後悔した。何も馬鹿正直に伝えずとも、適当にはぐらかせば良かった。
余りの恥ずかしさに頬に熱が集まるのを感じ、兄さんから視線を逸らすように俯く。

「……ヒューバートぉ!」

「っちょ、兄さんっ! 離してくれるんじゃ……っ」

「可愛い事言うお前が悪い」



ぎゅうぎゅうと、甘えるみたいに引っ付いて離れない兄さん。その表情があまりにも幸せそうだったから……。
ぼくも素直に甘えてみようか、そんな考えが頭を過ぎった時には兄さんの背中に腕を回していた。










11.01.12
(title by ギリア)