(学パロ。大学生の兄さんと、高校生の弟くんのお話)








普段と変わらない朝。先に家を出る兄さんを見送るために、玄関まで足を運んだ。
靴を履いている兄さんの背中を見ながら、今日の夕飯の当番が自分だった事を思い出した。
兄さんが靴を履き終えるタイミングを待って、その背中に声を掛ける。


「兄さん、夕飯のメニューで希望ありますか?」

「あー……、すまない。今日はサークルで集まりがあって、そのまま飲み会があるんだ」


てっきり兄さんの好物の名前が挙がるのだろう、と予想していたせいで少しだけ反応が遅れた。

飲み会……。
確かに兄さんはもう大学生で、今までとは違った広い交流があるのだろう。お互い高校生だった今までとは、違う。
分かっては居ても寂しいと感じてしまうのは仕方がなかった。

申し訳なさそうに答えながら振り返った兄さんと視線が絡み合って、
この気持ちが筒抜けになってしまうのでは無いかと、不安になった。
寂しさと不安を隠すように笑って見せて、眉を下げる兄さんを安心させた。


「……そう、なんですか。分かりました。」

「悪いな、ヒューバート。じゃあ、行って来る」


兄さんはぼくの頭に手を乗せて、軽く撫でた。子ども扱いされているようで、普段から面白くないと感じるこの行為。
今日は寂しさまで混ざって、益々面白くない。
たった1年の差だというのに、兄さんが凄く遠くに感じる。
俯いてやり過ごしていたら、兄さんの苦笑が聞こえて手はあっさりと離れていった。


静かな音を立ててドアが閉まるまでを見届け、リビングへ戻った。
流しっぱなしだったテレビから、今日の占いが流れていて。何とは無しに見た順位は、良いものでは無かった。
信じてないし、初めてまともに見たが、気分の良いものではない。

そう言えば兄さんは毎朝これをチェックして、結果に一喜一憂していた気がする。
信憑性などないのに……とは思っていたが、今なら何と無くその気持ちが解る気がした。

リモコンをひっつかみ電源を落とす。自分もそろそろ出掛けないとならない。
鞄と制服の上着を取りに自室へ向かおうとして、ふいに響いた着信音。
自分が設定している物では無い。
……となると、該当するのは兄さんだけだ。大学生にもなって忘れ物だなんて情けない。

音に釣られるようにして辺りを見回せば、ダイニングのテーブルにちょんと鎮座した兄さんの携帯を発見した。

今から走ってバス停まで向かえば間に合うだろうか。
引き寄せられるように携帯へ近付き、サブディスプレイに標示された差出人の名前に、伸ばしかけた手が止まる。

ユーリ……?

ぼくには覚えの無い名だ。
知らない女性から兄さんにメールが届いたと言う事実に、自分でも驚く程打ちのめされた。


中途半端に手を伸ばしかけたまま、ディスプレイに点滅するその名前を見つめていたら、
所定の鳴動時間がきて携帯は大人しくなった。
名残のように着信を知らせるライトが一定感覚で光る。
急に音を無くした室内。隣人が立てる扉の音が聞こえて来る程の静寂に耳が痛むような錯覚まで感じる。

ぼくは汗ばむ手を伸ばして、兄さんの携帯を手にした。
一瞬の戸惑いを経て、携帯を開く。カチリと小さな音を立てて開かれた携帯。
待ち受け画面は表示された着信を知らせるコマンドに邪魔をされていて良くは解らない。

からからに乾いた喉を潤す事も出来ぬままに、親指をボタンの位置まで伸ばす。
ここでまた暫しの逡巡。
待ち受けに標示される、“新着メール1件”の文字を見ながら、理性と好奇心がせめぎ合う。

そこへ扉の開かれる音がして、反射的に携帯を閉じた。
慌てたような足音が近づいてきて、廊下とリビングを隔てていた扉が開かれ、現れたのは案の定兄さんだった。


「携帯、携帯……っと、あれ? ヒューバートどうした?」

「いえ、兄さんの携帯が鳴っていたから……どうぞ」

「そっか、サンキュー。……あ、メール着てる」


ぼくは手にしていた兄さんの携帯を手渡した。
どうして持っていたんだと疑われるかと、少し不安になったがそんな心配は必要無かった。
少しも疑わずに笑顔で携帯を受け取った兄さんは、着信を知らせるランプに気付いてその場でメールを確認し出した。

ぼくもさっさと支度をしに部屋へ行けば良かったのに、
何故かそのタイミングを逃して、兄さんの慣れた指が携帯を操作するのを眺める事になった。

操作する指が止まって、目線が画面の上を滑る。
メールの内容を読んでいるのだろう。思わず兄さんの行動を観察してしまう。
程無くしてふわりと笑った兄さんの表情を、一生忘れられそうに無い。
今まで見た事もないような優しい笑顔だった。メールの相手が特別な人なんだと否が応でも解る。
ぼくは、じくじくと痛む胸に気付かないふりをしながら、兄さんに声をかけた。


「大学の、ご友人ですか?」

「……ん? ああ、サークルで知り合ったんだよ。」


パチンと軽い音を立てて携帯を閉じた兄さんは、それを鞄へとしまった。
聞いてから聞かなければ良かったと後悔した。解りきっていたのに、違うと否定して欲しかった。
嬉しそうな声音で、知り合った経緯なんて話さないで欲しい。聞きたくない。


「そうですか」

「おい、ヒューバート?」


先ほどより深く沈んだ気持ちは、上手く隠すことが出来なかったらしい。心配そうな兄さんの声が届いた。
そんな兄さんへ返事も返さずに自室へと向かった。
昨夜の内に支度は済んでいるから、上着を羽織り、鞄を持って家を出るだけだ。

とっくに出たと思ったのに、兄さんはまだリビングにいて、一瞬合った視線には心配が浮かんでいる。
それが益々ぼくの心をかき乱して、声を掛けられる前にと足早に家を出た。



学校での記憶は殆ど無い。
ノートを取ることすら億劫で何も考えたくなかった。ひたすら時間が流れるのに身を任せていた。

学校が終わって近所のスーパーで夕飯の買い物をする。
自分で調理する気にもならない為、簡単な惣菜を適当に選んだ。本当に適当に。
一番最初に目に付いたものを買い物籠に入れて、レジに並ぶ。

レジに並んでいる最中、どうしてぼくがこんな気持ちになって悩まなければならないのかと、寂しさが怒りに変わってきた。
兄さんに想い人が出来た所で、その関係が他人からみて解るほどに良好そうであっても、
それは……弟なら本来は喜ぶべき筈なのだ。
なのに、この寂しさはなんだ、置いていかれるような、一人にされるような……。

スーパーを出る頃にはすっかりと日も暮れて、辺りは暗くなっていた。
街頭の明かりを頼りに帰路を急いだ。一刻も早く家に帰りたかった。


誰も居ない家は外同様に暗く、寂しい。少しでも明るさを求めて部屋の電気を点した。
兄さんが大学に進学する前、互いに高校生だった時は、一緒に帰って来たから、そんなに寂しさを感じることも無かった。
進学してからも、この後少しすれば兄さんが帰ってくる……、そう思えば、寂しさは無かった。
それが、少し兄さんの帰りが遅くなって、食事も一人だというだけで、こんなにも違うのか。

勝手に零れ落ちたため息が、静かな部屋に響いた。


部屋着に着替えて、買ってきた夕飯を食べる。
一人で食べているからだろうか、それとも味の濃い惣菜が原因だろうか。余り美味しいとは思えなかった。
結局半分も箸が進まずに、残すことにした。
明日の弁当のおかずにでもすれば良い。
使い終わった食器を洗いもせずに流しに置き、そのまま部屋に籠もった。

ぼふんと、スプリングの効いたベッドに飛び込むようにして横になる。
すると、1日大して活動もしていないと言うのに、どっと疲れが身体を襲って、気だるさと眠気に瞳が重くなった。
宿題があった筈だと頭の片隅で思ったのを最後に、ぼくは意識を手放した。






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11.06.14
(title by ミシェル)