(悪魔な弟と、兄さん。設定上実の兄弟ではありません、注意)










ヒューバートは落ち着かないで居た。
朝、アスベルが用意してくれた朝食(もう昼過ぎなので昼食と言った方が良い)にも手を付けずにいる。
椅子に座って、脚をふらふらと揺すり、読もうと机に広げた図鑑の文面は全く頭に入ってこない。
ただ、挿絵を眺めては頁をめくる……を繰り返していた。

こんなにもヒューバートが落ち着かない理由は、アスベルの試験の事だ。
今回は2回目。一回目は不合格になっている。
不合格の原因は何を隠そうヒューバート自身だった。
どうしてあの時、大した力も無い自分がアスベルの呼びかけに応えてしまったのだろうと、思い出すだけで申し訳なさに消えてしまいたくなる。
アスベルもさっさと自分なんて消してしまえば良いのに、あの日からこうしてずっと傍に居させてくれていた。

ヒューバートは開いた図鑑に顔を埋めるようにしてくぐもった声を出した。
言葉にもならない小さな声は、誰も居ない部屋に良く響く。

そして、ヒューバートにはもうひとつ、もっともっと大きな心配事があった。
もし今回の試験で自分よりも上位の悪魔をアスベルが償還出来た場合の、自分の立場だ。
消せば良いのにと思いながら、捨てられる事に酷く怯えていた。
合格を願うと同時に、不合格をも望んでいるのである。その矛盾がヒューバートを苦しめていた。


うんうんと唸るような自分自身の声が室内に響き、不安でどうにかなってしまいそうだった。

ヒューバートはがばりと顔を上げると、開いていた図鑑を乱暴に閉じた。
不安にざわつく心を落ち着ける事が難しくなってきているのが、自分でも解って、その苛立ちを発散させようとしたのだ。
だが、幾ら本を乱暴に扱って八つ当たりをしたところで落ち着く訳がなかった。
普段は大人しいが、まだ幼く自身の力を持て余しやすいヒューバートは、一度心に影が差しただけで、
たちどころに荒ぶってしまう。


「……っ、兄さ……兄さん」


アスベルに買って貰った図鑑を抱きしめて、勝手に潤みだす涙を零すまいと唇を噛み締める。

アスベルには泣く事を我慢するなと言われている。
それでも、いつまでも子供のように泣きじゃくる事で発散するのはみっともないとヒューバートは考えていた。
助けを求めるかのようにアスベルを呼びながら、泣くまいと我慢していれば、玄関の方から音が聞こえた。

(兄さんが帰ってきた!)

ヒューバートは弾かれるようにして顔を上げると、じっと扉を見つめた。
玄関の扉が開き、直ぐに靴を脱ぐ音、そして廊下を歩く足音が少しずつ近づいてくる。


「ヒューバート、ただいま」


アスベルののんきな声と共に、廊下と部屋とを隔てた扉が開かれた。
機嫌の良さそうだったアスベルだが、今にも泣きそうなヒューバートを見て、その表情は一変し心配を滲ませたものへと変化した。
手に持っていた買い物袋を放って、アスベルはヒューバートに駆け寄った。


「どうしたんだ、何かあったのか?」


アスベルの姿を見たことで、我慢を忘れヒューバートの瞳からぽろぽろ零れる涙を拭いながら、
なるべく刺激し無いように尋ねてやる。

ヒューバートは結局泣いてしまった事が恥ずかしくて俯き、直ぐには返事を返さない。
落ち着くまでとアスベルが短くふわふわとした髪を撫でて持つ。
するとヒューバートは、そろそろと片手をアスベルへと伸ばすと、強く服を握った。

それでも、言葉はない。暫くそのままだった。

そろそろ沈黙が辛くなった頃、ヒューバートが俯かせていた顔を上げた。
アスベルの服を掴む手の力が、離すまいとするように強くなった。


「……兄さん、試験は?」

「ん? 大丈夫、受かったよ」


長らく待って漸く聞けた言葉は、先の問いの答えではなかった。
それでも、アスベルは怒ったりせずに笑顔で答えてやる。
自分の試験の事で、ヒューバートが気に病んでいた事をアスベルも知っていたから。
もしかしたら、結果を心配してくれていたのかもしれないと思ったのだ。
しかし、その返事を聞いたヒューバートは喜ぶ訳でもなく、再び顔を俯かせた。
てっきり喜んでくれるとばかり思っていたアスベルは、一体どうしたのだろうとヒューバートの顔を覗きこむ。


「ヒューバート?」

「……もう、ぼくは兄さんと居られないの?」


思わぬ問いだった。

しかし、アスベルは一瞬でヒューバートの不可解な様子の原因に気付いた。
同時に胸に広がる形容しがたい思いが生まれて、思わず笑みを零してしまう。

決死の思いで尋ねたヒューバートにしてみれば、笑われた、馬鹿にされたと思った。
睨むように顔を上げて、アスベルが己を見る目が優しいのに気付き、言葉を失う。

アスベルはそっとヒューバートを抱き寄せ、頭に手を添えて撫でる。


「ばかだな、捨てられると思ってたのか?」

「だって! ……だって、ぼくはまだ、小さいし……」


アスベルの言葉を遮る様にして勢い良く声が発せられるが、それは徐々に勢いを失い、終いには途切れてしまう。
アスベルはヒューバートの頭を撫でていた手に少しだけ力を入れて、更に抱き寄せる。
抱き寄せられるままにアスベルの肩口に顔を埋め、ヒューバートは小さく鼻を啜った。


「確かにヒューバートはまだ小さいけど、直ぐに大きくなるだろ?
それに頭が良いし、俺はお前が居て凄く助かってるんだよ、ヒューバートは気付いていないみたいだけどな」


ヒューバートの澄んだ瞳が、真っ直ぐにアスベルへ向けられる。
その涙と鼻水で濡れた顔が、今まで真剣に悩んでいた証明の様にも思えて、アスベルは黙ってヒューバートを見返した。


「傍に、居て良いの? ずっと一緒?」

「当然だろ。これからも宜しくな、ヒューバート」

「……うん!」


不安に再び泣き出してしまいそうだったヒューバートの表情が綻び、
アスベルの言葉の意味を理解すると同時に満面の笑みへと変わった。

その笑顔を見て漸くアスベルも安心し、小さく息を吐いた。
そして涙で濡れた顔を拭ってやろうと手を伸ばしかけて響いた音に、二人とも一瞬動きを止めた。
ぐぅという気の抜けた音の出所は、ヒューバートのお腹。
ふと見た先のテーブルには朝自分が用意した朝食が残っていて、今はもう三時を回っている。
お腹が空かないわけが無い。


「ははっ、朝ごはん食べなかったのか?」

「……兄さんの試験が気になって、それどころじゃ無かったんだよ」

「少し早いけど、夕飯の支度するか。今夜はオムカレーにしようと思って材料も買って来て……あ、」


照れくさそうに言い訳するヒューバートの涙を拭ってやると、アスベルは立ち上がる。
此方を見上げるヒューバートの頭をぽんと頭を撫で、視線を入り口の方へと向け、言葉を失った。

アスベルの視界に入った、スーパーのビニール袋。
その中には今夜の夕飯の材料が入っている。オムライスに必要な卵も、買ってきていた。
それが、ヒューバートに駆け寄る際に、乱暴に床に置いたせいか割れてしまっているのに気付いたのだ。

今度は慌てて買い物袋に駆け寄る事になった。
ヒューバートもアスベルの後を追う。
ガサリとビニールの擦れる音を立てながら持ち上げれば、袋の中で卵が幾つか割れてしまって酷い有様だ。


「うわぁ、すごい事になってる……」

「でも、オムライスにするなら割れてても平気だよね」

「……そう、だな。割る手間が省けたって事で良いか」


吹っ切れたのか随分と楽しそうなヒューバートに、アスベルも小さなことはどうでも良くなって笑う。
一先ず卵以外の食材を袋から出し始めたアスベルに、ヒューバートは服を引っ張って兄を呼んだ。


「兄さん。夕飯の支度、ぼくも手伝って良い?」

「ああ、良いよ。一緒に作ろうか」









11.06.07
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