(設定上、兄弟という関係ではないアスヒュです。注意)








ナースステーションにコール音が響き、纏めていたカルテから視線を上げる。
今、此処に居るのはぼくだけだ。尚も鳴り響く音に導かれる様にして、コールの親機の元へと駆けた。
呼び出しに反応して光るランプを探し、その横に表記された名前に思わず溜め息が溢れる。

(またか……。)

無論、無下になど出来る筈もなく、するつもりも無い。頭では呆れながらも、受話器を取った。


「どうしました?」


呼び掛けてみるが返事がない。
普段だったらケロッとした声で暇だとか、お腹空いただとかの我が儘を平気で言う患者さん。
彼は怪我での入院だから、容態が急変したりするといった事は無いと思う。
だが、普段との差に不安が募る。


「大丈夫ですか? どうしたんですか?」


再度声を掛けてみるが、一向に応答は無かった。これは直接病室へ行った方が良い。
受話器を戻して通話を切ると、少し離れた位置にある彼の病室へと向かった。







「遅かったな、ヒューバート」


病室に着くなりのご挨拶。相手は喋る事も出来なかった筈だ。
大変な事になっているのではと、半ば駆け込む様にして飛び込んだ病室は、普段と何も変わっていなかった。
そして、呼び出した張本人はと言えば、ベッドの上で読書をしていた。それは、それは元気な様子だ。
先ほどの意味深なナースコールは、一体なんだったのだ。悪戯にしては質が悪すぎやしないか。

心配で張りつめていたものが一気に抜けて、全身から力が抜けるようだ。怒る気力すらも湧かない。
ぼくが新米の看護師だから、遊ばれているのかもしれない。思えば、ぼくばかりが彼に振り回されている気がする。
それでも、注意、というか文句くらいは言いたくて。ずれた眼鏡を正しながら口を開いた。


「無闇にナースコールを押さないで下さいと何度言ったら分かるんですか、貴方は。」

「無闇に、じゃない。今回はちゃんと用事があったんだよ」


ジッと向けられる視線は真っ直ぐで。ぼくは言葉を無くす。
平気そうに見えて、無理でもしているのかもしれない。消えかけていた心配が再び顔を覗かせた。

一先ず容態を話して貰わなければと、ベッドへと歩み寄る。
病室の一番奥、彼の使用する窓際のベッドまでは、そう離れて居るわけではない。
でも、何故か遠く感じられた。それが、心配からか、疲れからかは分からないが。
もしかしたら、今この病室を使っているのが彼だけなせいで、彼を変に意識してしまうからかもしれない。


「具合でも悪いんですか? それとも、傷が痛みますか?」

「何だろ、時々胸が凄く苦しくなるんだ」

「胸? それはいつ頃からですか?」

「いつって言うか……ヒューバートの事を考えると、かな」


しばしの沈黙。ぼくの事を考えると、とは一体どういう事なのだろう。
胸が苦しくなるほどに嫌われているとか?……なんだか、悲しくなってきた。
彼とまともに視線を合わせられなくて、逃げるように逸らした。

ぼくの反応をどう思ったのか、彼は困ったように笑って言葉を続ける。


「……ヒューバートの事を考えるとさ、胸がどうしようもないくらい苦しくなって、顔が見たくなって……。
迷惑なの分かってるけど、結局我慢できなくなって押しちゃうんだよな、それ」


それ、とは、ベッドの枕元にあるコールボタンの事だろう。
その言葉につられて、コールボタンへと視線を移しかけて、違和感を覚えた。
嫌われているとしたら、顔が見たいだなんて思うだろうか。
少なくともぼく自身は思わない。むしろ、見たくないと思う。

つまり、それは……。


「それって……っ?!」


言いかけた言葉は、急に手首を握られた事で不自然に止まった。
吃驚して、彼の顔を見つめる。彼はその端正な顔に、自嘲ともとれる笑みを浮かべていた。
その表情ひとつで、今しがた思い至った考えに間違いは無いのだな、と思えてしまう。益々気まずかった。

それは、目の前の彼も同じらしかった。ぼくの手首を握る彼の手のひらが、じっとりと汗ばんでくる。
不快感は無いが、どうにもこの状況は居た堪れない。緊張で変に強張った腕が自分のものでは無いようだ。

不意に掴まれているだけだった腕が引かれる。
彼の行動はいつでも突然で、声こそ抑えられたが、心臓が跳ね上がった。
引かれた腕が導かれたのは彼の胸。丁度心臓の真上くらいの所だった。
ぼくの手は緊張で冷たくなってしまっている筈で、反射的に引きかけた。
しかし、それ以上に強い力で抑え込まれてしまう。


「……っ、急に冷たい手なんか当てたら!」

「大丈夫だから。なぁ、分かるか? ヒューバートと話してるだけで、心臓バクバクでさ……」


情けないよな、俺。と、話す彼に、抵抗が弱まって意識が手に向かう。
トクトクと、通常よりも速いペースで脈打つ鼓動が確かに感じ取れた。
でも、それよりも。ぼくの冷たい掌を、じわりと優しく温める体温の方に意識が向いてしまう。
その温もりが掌から腕へと伝って、全身に流れ込む。ずっと触れていたいと思う。


「――っ!」


自分は何を考えていた?
彼は患者であって、何より同性で、こんな感情は可笑しいのに……。

先ほどよりも強い力で手を引いた。
ぼくの手首を押さえる彼の手の力は、もう殆ど無かった。
それでも力を入れる必要があったのは、この期に及んで離したくないと思う、ぼく自身の気持ちを振り切るためだ。


「……あ。 ははっ、そうだよな。ごめんな、気持ち悪い事言って。忘れてくれ」


彼の傷ついたような言葉に、現実に戻される。彼は、ぼくに言い訳するタイミングすら与えずに、言葉を続ける。
その表情は暗く、もしかしたら思いを告げた事を後悔すらしているのかもしれない。

違う。貴方の思いに嫌悪感を抱いたのではなくて、そうではなくて……。ぼくもたぶん同じ気持ちなんです。
そう、言えたら……言える訳が無かった。

ひとたび受け入れてしまったら、彼を巻き込むことになる。
同性同士だなんて、世間にどんな目で見られるか。
ぼく自身がどう見られるかよりも、彼がそういう白い目に晒されるのが何よりも耐えがたかった。


「……すみません。でも、決して貴方の思いが気持ち悪いとか、そういう意味ではありませんから。
そんな顔、しないで下さい」

「なら、どういう意味だよ。あ、もう相手が居たりするのか」

「……そういう事にしておいてください」


嘘が吐けない性格というのは、難儀なものだと思った。
もう相手が居ると嘘でも良いから素直に頷けたら、傷つけずに断れたのに。これじゃ、まるで説得力が無い。


「では、ぼくは仕事がありますので」

「待てよ、ヒューバート」


この場を去る口実のように仕事を出して、背を向けた。
そこへ間髪入れずに掛かる声。無視して歩き出せばいいのに、足が竦んだ。


「お前、嘘下手なんだな。別に良いんだぞ、気持ち悪い!って正直に言ってくれてさ」

「どうして、そうなるんですか。」


しつこいとも言える彼の言葉に、冷たい声を返してしまう。
誤解されるような言い方をしたぼくも悪い。
でも、どうして解ってくれないんだと、理不尽な怒りが生まれてしまうのは、どうしようもなかった。

こんな思いをするなら、自覚なんてしたくなかった。
ただの困った患者さんだって思ったまま、完治した彼の退院を見送って……、
それで、その後はすっきり忘れられたら楽だったのに。
このままじゃ、忘れられたとしても時間が掛かってしまいそうだ。


「ごめん。……あのさ、また呼んで良いか?」

「本当に用がある時だけなら。ぼくだって忙しいんですから」

「ああ、わかったよ。ありがとうな、ヒューバート」


これで呼ばれなくなってしまうのは、ぼくとしても寂しくて。随分と素直ではない受け答えながらも、承諾した。
それに返ってきた声が、随分と嬉しそうだった。
思わず振り返った先の彼の表情が、綺麗で……少しだけ素直になれなかった事を後悔した。








>なんだかんだこの後、結局くっつく感じだと思います。笑。

11.03.03
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